マトスポブログ

サハラマラソン参戦記録 vol.6(全4ページ)

初日の終わりと幸運

ティーポットの先にあるテントで水の配給を受ける。ここでもブラボーの声で迎えてくれた。
ゴール後のビバークでの配水は4.5L。3本のペットボトルを抱え、日本人テントを目指す。
途中、51番テントの前を通るときにRお姉様が、「 よかった。お疲れ様! 」と声をかけてきてくれた。
隣にはRお姉様と同じく女性選手の千葉のO島さん、通称”ブーちゃん”(※命名はご本人)がいる。
ブーちゃんは第1チェックポイントに辿り着けず、リタイアとなりヘリでこのビバークまで運ばれたそうだ。
さぞ無念かと思いきや、本人は長年の夢であった砂丘を走れて満足だったのかその顔は晴れ晴れとしていた。
余談だが彼女はこのサハラへの出場に際し、激しいトレーニング行い20kgもの減量に成功したそうだ。努力の程がうかがい知れる。

そして彼女との会話の中で、ヘッドライトを失くしたことを話すと、自分のものを使ってくれないかとの申し出をいただいた。
リタイア確定時に食料は他の選手に分け与えないよう没収されたが、装備関係はそのまま手元に残っているそうだ。
ブーちゃんは他のリタイア者とともに明日の朝ワルザザートへ向けに旅立ち、そこで大会の終わりまでみなの帰りを待つことになるという。
だから、もう自分にヘッドライトは必要ない。このライトだけでもフィニッシュへ持っていって欲しいと・・・。

涙が出そうになる。もし、自分のヘッドライトが手元に戻らない場合は、ありがたく貸していただくことにした。

住処である53番テントに到着すると、広島のK池さんと留学生のRくんの姿があった。
K池さんは15時半頃には着いてひと眠りされていたそうだ。さすが隠れた実力者。
しかし制限時間は残り1時間もないというのにあと5名も帰っていないとは。噂では今日は大量のリタイアが出ているらしかった。

彼らのことは気になるが、日が落ちる前に自分のするべきことをしなければならない。
先ずは足のケア。右の親指の側面が水ぶくれになっていた。その場で潰そうと針の準備をしていると、K池さんが自分も同じようになっているので、一緒にメディカルに行ってみないかと誘ってくれた。

メディカルテントは初日ということもあり、まだそれほど混んではいなかった。
先に並んでいたK池さんが受付スタッフに水ぶくれを潰したいと伝える。
すると包装された刃物と、包帯とガーゼ、消毒液が手渡された。軽症者は自分でやれということらしかった。
受付の奥には絨毯が敷かれたスペースがあり、そこで数名の選手が自らの手で治療を行っている。

受付スタッフが「 あなたの症状は? 」と聞いてくる。
表現がよく分からないので、必殺「 前の彼と一緒 」で首尾よくお目当ての機材ゲット。

刃物を包装から取り出し、水ぶくれを刺す。かなり鋭利できれいに切ることができた。
消毒剤として、日本では最近お目にかからなくなった赤チンを患部へ垂らす。
んーっ・・・めっちゃしみる!
隣で同じ治療を行っていた白人男性と目が合う。
「 しみるな 」 「 ああキツイ 」 と眼で会話。国や人種は違っても思うことは同じだ。

赤チンが垂れた足は流血したように見える。ガーゼで拭き、包帯を巻く。テントに戻ったら皮膚の再生を助けるキズパワーパッドを貼ろう。
白人男性とお互いの明日の幸運を祈り、メディカルテントを後にした。
外はもうだいぶ暗くなっている。

テントに戻ると岩手のS藤さんと大阪のS和さん、そして途中一緒に歩いたF岡さんが無事帰還していた。
F岡さんは息も絶え絶えだが表情は明るい。
そしてS藤さんから、私のボトルを拾ってくれたのは55番テントのM沢さんだと教えていただいた。
早速55番テントに赴くが、彼はまだ帰っていないとのこと。
仕方ないので、食事の準備を整え、用を足しにトイレへ向かう。
昨日トラブルでろくにできなかったため、今日一日お腹が張りっぱなしで非常に辛かった。
今度は上手くできた。よかった!

トイレから戻る途中で帰還したばかりM沢さんを発見。
声をかけると、
「 重かったですよ~。捨てちゃおうかと思いました(笑) 」
と、笑顔で私の行動食満載のボトルと手渡してくれた。
ライトのことを尋ねると、「 やっぱり尾西さんのでしたか(笑) 」とこれもバックパックの中から取り出してれた。

2つできっと600g以上ある。ほとんど面識のない私のためにこれをずっと携えてきてくれたのか・・・。
自分ならどうしただろう?ここまで出来ただろうか。しばし呆然としてしまった。

彼にお礼を言い、せめてもの償いに明日は同程度の荷物を自分に担がせて欲しいと申し出たが、
彼は一言、「 代わりにその一眼レフで僕のこと撮ってくれればそれでいいですよ。 」と。頭が上がらない。

明日以降、彼を見つけ次第バンバン撮ることを約束した。
ちなみにボトルは他国の選手が発見し、日の丸シールが貼っているのを見て、
近くに落ちていたヘッドライトともども日本人であるM沢さんに託してくれたそうだ。
どこの誰だかわからないが、ありがとうと心の中でつぶやく。

サハラマラソンの完走。これをできると確信を得るタイミングは選手ひとりひとり違うであろう。
経験によって出走前から当たり前に持っている者、ひょんなきっかけによってそれを得る者、完走目前にしてようやく安堵できる者。
そして、私の場合は失ったはずのヘッドライトが手元に戻ってきた、このときだった。
レースの続行を危ぶまれる状況から、親切と幸運によってもう一度戦うことを許された。
私はそう感じた。ここ地まで来たのも必然であり、人事を尽くせば当たり前に完走できる。そう強く信じることができた。

53番テントの皆も喜んでくれ、ブーちゃんさんにも改めてお礼を言う。
彼女のライトは、光量に不安があったRくんが借り受け、この後彼女の望み通り無事フィニッシュまで到達することとなった。

すっかり暗くなってしまったが、手元に戻ったばかりのヘッドライトを使用して食事を摂る。
さすがに今朝までのような食欲はなかったが、無理やり詰め込んだ。

明日に向け

多すぎる食料を大量に破棄することにした。
今日一日過ごした感じでは、元の量の3分の2程度で問題なさそうだ。
いまある分から1kg程度を何でもゴミ箱送りにした。もったいないお化けごめんなさい。
今日落としたボトルには、再び明日から5日分の全てのナッツ類を入れ、水のボトルが干渉しないようにフロントバック左のホルダーに差し替えてビニールテープで固定した。
元々左に差していたものは、ボトルの背が低いので右に差し替えても干渉しない。これで問題なし!

最初の砂丘で剥離したゲータを保険として持っていたボンドで再び接着する。
恐らく明日の終わりにはまた剥がれているだろうが、仕方ない。毎日修繕しながら騙し騙しいくことにしよう。

制限時間の10時間を大きく過ぎた20時頃、私がヘッドライトを点けて足にクリームを塗っていると埼玉のS本さんと北海道のM浦さんが帰ってきた。
S本さんは最初の大砂丘の終盤で一度見かけていたので、なぜこんな時間にと思ったが、どうやら足のトラブルに見舞われたらしかった。
S本さんは本日はクリア。M浦さんは残念ながらリタイアとなっていた。

制限時間だが、元々の10時間ではあまりに多くのリタイアが出てしまうため、なんと2時間も延長された。
(現場では1時間延長のアナウンスだったが、後日リザルトを見ると2時間の延長となっていた)
このような措置は過去にほとんど例がないそうだ。
これについては賛否両論あるだろう。10時間に間に合うように無理をした選手や、途中のチェックポイントで切られた選手はよくは思わないはずだ。
ともあれ、この2時間の延長により多くの選手が(特に日本人は)明日を迎えれることとなった。牛さんも帰ってきた。

ちなみに、この事については主催者であるパトリック氏が、後日公式サイトの今年の総評の中で以下のように言及しています。
※翻訳ソフトを使用しているので正確ではないかもしれませんが、ニュアンスは概ね伝わるはずです。

『 競技上、今年は通常よりも多くのリタイアが発生しました。しかし我々は最初から過酷なものになると警告していたはずです。
第1ステージは厳しく、(環境に?砂漠に?)順応する時間がありませんでした。しかし準備していなければならなかったのです。
念を押します。サハラマラソンはスポーツイベントであり、砂漠を横断するハイキングではないのです。到着した時から準備していないといけないのです。 』

私が思っていたことも、彼のこの評にすべて示されている。
結局この初日で20名のリタイアが出た。制限時間がそのままなら50名近くがレースを終えなければならなかったようだ。

今日の疲れが明日に残らないよう、入念にマッサージを行い、リカバリー用のスポーツシャツとタイツに着替える。
寝袋に入り、むくみ予防のためにバックパックを足元に置き、足の位置を高くして就寝した。

競技結果

4月6日 第1ステージ 34km/制限時間 10時間 → 12時間
出走/1029名(うち日本人42名)
完走/1009名(うち日本人38名)
リタイア/20名(うち日本人4名)

No.1024 ONISHI Motoki
タイム 9:00:52
順位 900/1009位

各ポイント通過時刻
スタート/9:01:29
第1チェックポイント(15.0km)/12:59:57
第2チェックポイント(10.8km)/15:49:43
ゴール(8.2km)/18:02:21

 

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