マトスポブログ

サハラマラソン参戦記録 vol.21(全3ページ)

エピローグ

第29回サハラマラソンから1月半が経った6月1日早朝。私は和歌山県新宮市にある熊野速玉大社へお礼参りに訪れた。

丁度1年前、この社で牛王宝印符を分けていただきサハラマラソンに関する起請を立てた。所謂起請文である。
2013年にモロッコの隣国で起きた人質拘束事件、サハラマラソンとほぼ同時期に開催されるボストンマラソンでの爆弾テロ事件。
もしかしたらサハラマラソンでも似た様なことが起きるかもしれない。
そう考え、半端な気持ちで参加するのではないと示すため、また有事の際に自分はどうするつもりなのかどうして欲しいのか、
見苦しくならないよう身の処し方を書き記しておいた。
同じものを2枚書き、1枚を自ら携え、もう1枚を母に預けた。
この事を知るのは母と親友の2人だけだったが、今は念願無事に叶うところとなりもう構わないだろうと思いここに記しておく。

そして今日の目的はもう一つあった。新たな牛王宝印符を分けていただくためだ。
薄々感ずいている方もいらっしゃるだろうが、オーバーナイトステージでトップ集団に抜かれたあの日、最終ステージで同じ日本人選手に抜かれたあのとき。
私は再戦を決意した。

彼らに力の差をはっきり示されたのが悔しかったからではない。彼らは自分とは別の競技をしている。そう確信させられたのが悔しかったのだ。
”まだ私の知らないサハラマラソンがある”。私はそう考えた。
次回の第30回サハラマラソンに出場して完走することはきっと今回ほど難しくはないだろう。その為の術も経験もすでに得ている。
だが出場したところで恐らく記録や順位はそれ程は変わらず、結局同じことの焼き直しになることは目に見えている。
ならば数年間しっかり練習し”やれる”と確信したそのときに、上位とは言わずともせめて走って完走できると確信したそのときに。
雛の競技者としてもう一度サハラマラソンの舞台に戻りたいと思う。

今日分けていただいた牛王宝印符はそのときのためのものだ。
そしてもうひとつ。サハラマラソンに行くまでは知らなかったが、どうやら世界には似たようなアドベンチャーレースが幾つもあるらしい。
これはそのときにも活躍してくれるであろう。

惹かれ憧れ、ただただ突き進んだサハラマラソン。
私の人生に確かな足跡と彩りを与えてくれた。

そしてそれはこれからも続いてゆくことだろう。

 

- お し ま い -

 

 

次ページにて後書

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