マトスポブログ

サハラマラソン参戦記録 vol.20(全4ページ)

その後の出国手続きはすんなり終わり、搭乗口で機材到着を待つ。まあ搭乗口はひとつなんですけどね。
広いロビーでみな思い思いに過ごす。とても和やかな雰囲気。完走Tシャツを着ている選手がけっこういる。
やがて轟音とともに我々が乗る飛行機が到着した。

正面の扉が開き、チケットを係員に見せ外に出る。ここもまた歩いて飛行機まで行くスタイル。

席に着き、出発まであと5分となった頃、見覚えのある紳士がやって来た!

そう!

パトリック・バウワー氏である!!

いつの間にか消えたと思ったらこのタイミングで再登場。
機のマイクを取って我々に別れの挨拶を述べてくれた。
このホスピタリティ・・・本当になんという主催者であろう。
改めて思った。憧れ、そして目指したのがサハラマラソンで本当によかったと。
これ程までに愉快な時を過ごせたのは、この大会に素晴らしいホスピタリティ性があったればこそ。
つまり何百人ものスタッフとその長であるパトリック氏の努力に他ならない。

彼らに敬意を表し、ここに大会終了後に発表された今大会のデータを記載する。

参加者数1,029名

• 30%のリピーター
• 70%の外国人(ホスト国であるフランス人以外)
• 30%のフランス人
• 14%の女子
• 45%のベテラン
• 30%がチームエントリー
• 10%の歩く人
• 90%の走って歩く人
• 14km/hr: 平均最大速度
• 3km/hr: 平均最小限の速度
• 最も若いランナーの年齢: 16
• 最も高齢なランナーの年齢: 79
• コース上の130人のボランティア
• 全体で450人のサポート・スタッフ
• ミネラルウォーター120,000リットル
• 300のベルベル人とサハランテント
• 120台のオフロードカー
• 2つのヘリコプターと1つのセスナ飛行機、
• 8機の「MDSスペシャル」コマーシャル飛行機、
• 25のトイレ
• 4匹のラクダ
• ゴミを燃やすための1台の焼却炉トラック
• 環境に配慮し、レースを安全にする為の4つのクワッド
• 52人の医療スタッフ
• 6.5キロメートルの絆創膏、2,700セットのハイドロコロイド、19,000枚の湿布
• 6,000の鎮痛剤、150リットルの殺菌剤
• 1台の編集バス、5台のカメラ、1つの衛星画像ステーション
• 10台の衛星電話、30台のコンピュータ、ファックスとインターネット
• そして、ほんの少しの狂気 …

我々選手のためにこれ程の人とモノが動いていたのである。

ありがとう、パトリック・バウワー。
ありがとう、サハラマラソン。

本当に来てよかった。心からそう思う。

でもほんの少しの狂気だけはないわ。どこをどう見たらほんの少しやねん!!

ただいま、パリ

飛び発った飛行機はあっという間にアフリカ大陸を離れ、ジブラルタル海峡を抜け、もうすぐそこにはヨーロッパ大陸が見えている。
この砂の大陸を再び訪れることがあるのだろうか、来るとすればいつになるだろうか。そんなことを考えていた。

飛行機はオルリー空港に到着し、行きと同じようにチャーターバスに乗り込み、市内にあるホテルを目指す。
多くの日本人選手は元いたホテルへ再び宿泊するが、ここでお別れとなる方もいる。彼らと握手を交わし、日本での再会を誓い合う。

高速道路を走るバスの窓からパリの街を眺めていると不思議な感覚に陥った。
フランスは日本と同じ所謂先進国である。モロッコを卑下するわけではないのだが、自分の出身国と同程度の文明度に接することで、
”戻ってきた。帰ってきた”と、そんな思いが湧き上がる。妙に落ち着くのである。F岡さんにそう話すと彼も同意を示した。

バスは17時頃にモンパルナス駅近くのコンコルドホテルに到着。10日前に出発したあのホテルだ。
濃密な時間を過ごしたせいだろうか、たった10日だがとても懐かしく感じる。
部屋はツインで、ルームメイトは先の宿泊と同じく東京のK和田さんだ。
K和田さんにチャリティーステージの朝に撮影した完走者の写真データをFacebook上にアップしてくれないとお願いする。
彼は快諾してくれたが、どうせなら自分のアカウントを作ればいいのではないかと勧められる。う~ん、どうしよう。
食事の約束の時間が迫っていたので、とりあえず保留してロビーに赴く。

食事は同じテントのK池さん、F岡さんと。店を探しに行く途中で他の日本人選手に一緒に行こうよと誘われたが断る。
なんとなくなのだが”寂しがり屋の一匹狼三人衆”水入らずで最後の宴を楽しみたかった。
表通りに面した小さなカフェを見つけ、そこでサンドイッチ類とビールでささやかな打ち上げを行う。
3名とも心底疲れており、もう砂漠は懲り懲りだねという話で盛り上がる。

明日は私とK池さん昼の同じ便、F岡さんは夜の便で日本への帰路に発つ。
帰り道、シャルルドゴール空港行きのバスの乗り場をK池さんに伝える。私は所用があって一緒に移動できないのだ。
ホテルに着き、2人と別れる。F岡さんとはここが最後だったが、どうせまた日本で会う確信があったので簡単な別れで済ませた記憶がある。

部屋に戻りルームメイトのK和田さんにFacebookのアカウントの作り方を教わる。件の写真は、整理した他の写真と一緒に帰国後すぐにアップした。
今まで敬遠していたが、S村さんが「名刺みたいなものと思えばいいよ。」と言っていたことを思い出し、思い切って始めてみることにしたのだ。
始めてみて驚いたのは、8割以上の日本人選手がアカウントを持っており、更にサハラマラソンのグループが存在したことだ。
グループ内では装備品や大会関連の情報交換が頻繁に行われていたようだ。14ヶ月ずっと1人で頭を悩ましていた自分には軽いカルチャーショック・・。
まあ誰も頼れず、独り悩んだり試行錯誤を繰り返したのも思い起こせばよい経験であった。このグループの存在を知らなかったからこそ道中を大いに楽しめたとも言える。
今はここで出会った仲間達との消息を知れる手段を得れればそれでいい。さっそく日本選手団や爽やかサミュエル、凸凹コンビらに友人申請を送る。

スーパーマーケットで購入したスナックを齧りくつろぎながら静かに夜を過ごした。

1 2 3 4