マトスポブログ

サハラマラソン参戦記録 vol.17(全4ページ)

デジタル一眼レフカメラ

最後の配水とともに青色のTシャツを受け取る。
昨年度の大会でこれと同じシャツを着ている映像を見たことがあり、今日までこの青色のシャツが完走Tシャツなのだと思い込んでいた。
だがこれ実はユニセフのTシャツ。チャリティーの一環として今日はみなでこのシャツを着用するのだ。
ゼッケンを付けるとユニセフのロゴが隠れるので付けるべきか否かみな迷っていたが公式のアナウンスはない。
周りの選手の様子を確認しつつ、とりあえず私は折衷案でバックパック側のみ取り付けたままにしておく。

スタートまでのあり余る時間で日本人の完走者で集合写真を撮ろうということになった。
わらわらと集まり始める日本人選手達。他の選手の邪魔にならないようにテント群の外側に集まる辺りよく国民性が出ていると思う。
総勢32名。それなりの人数なので、なんだなんだと他国の選手やスタッフも見物しに来る。
こういう場面でしっかり集まれる連帯感は流石日本人。もっと少人数だったとしてもお国柄によっては不可能だろう。

全員の分のカメラで撮っていては時間がかかるので、代表の1台を見物に来ていたカメラマンに渡して撮影をお願いすることとなった。
さて、その代表のカメラであるが当然「誰かいいカメラない?」って話になる。

もうおわかりですね?

そう、私のデジタル一眼レフカメラの出番です!
カメラ本体の他にレンズ、電池パック等、諸々合わせ1kgを超える重量とフロントバックの占有に耐えてここまで運んだこのカメラ。
その苦行(?)の果てにこの素晴らしい役目が舞い込んできたのだ。

ぼろぼろになった砂除けの袋を外し、ドヤ顔でカメラマンに一眼レフカメラを手渡す。
そして彼が撮ってくれた写真がこちら。流石プロのカメラマンである。

みんな良い笑顔。この写真は私の宝物といえる。写真をよく見ると私はもう一つの宝物である前立てを首にかけている。
集合に先駆け、各々完走メダルをかけてという前触れがあった。だが私は何となく完走メダルではなく前立てをかけて赴いた。
完走メダルはこのマラソンを制したことを証明する極めて重要なものである。が、それ以上の存在には成り得ない。
私にとってメダルは重要なものであると同時に、思い入れの無いほとんど無価値なものといえる。
そんなものよりともに236.2kmを駆けた宝物と一緒に写真に納まりたかった。

そんなこんなで無事撮影は終わったが、続いてギネス記録保持者のT橋さんが自分のカメラをカメラマンに手渡す。
私のカメラで撮った写真はデータとして後日みなに何らかの方法で配布するという話になったのだが、
T橋さんはネットやメール等が不案内のため写真を受け取るのは難しく、それなら個別にと考えられたのだ。

問題はそのカメラ。なんと日本が誇る未来技術遺産・写ルンです!
久々に見ましたよ。もう日本人選手団大ウケ。一眼レフとか目じゃない。
サハラに来て写ルンですを見るとは思わなかったですよほんと。T橋さんは機械類があまり得意でないそうで、どこに行くもコレらしいです。
カメラマンは初見だったようで操作がよくわからずしどろもどろ。これでまたみんな大ウケ。
あのフィルムを巻く独特の音と、気の抜けたパシャっというシャッター音がサハラに響く。
そうこうしている内にテレビカメラがやって来る。一個の国の参加者が勢揃いしている画がよかったのかな?

すると一部の日本人がサッカー日本代表の応援歌でお馴染みのウルトラスの「バモニッポン」を歌い始める(おー日本♪のアレ)
あれよあれよと言う間に肩が組まれ全員を巻き込んで大合唱。だってカメラ回ってるからね。好きだね日本人はこういうの。
数分間に渡る合唱を終え、テント群とスタッフからの拍手喝采(?)をいただき解散。

その53番テントの5名で記念撮影。第1ステージの前に撮った写真(vol.5参照)と比べるとなんだか精悍になっている気がします。

スタート前の最後の準備をしているとクラクションとともにスタッフを満載したたくさんの大会車両がこちらに手を振りビバークを去ってゆく。
もちろん全スタッフではなく一部なのだがそれでもかなりの人数だ。恐らく彼らは一足先にワルザザードへ向かうのだろう。
ベルベル人をこれまた満載したトラックもビバークを発つ。今日は急いでテントを移動させる必要ないので一部人員のみを残すようだ。
これらは仕事柄毎週見ているイベントの終わり際の寂しさと同じもを感じる。※外部リンク

あとラクダ君達もお疲れ様。結局彼らの背には乗れず終いだった。

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