マトスポブログ

サハラマラソン参戦記録 vol.14(全5ページ)

2014年4月、弊社の社員である尾西基樹30歳(独身)が、世界で最も過酷とされるサハラマラソンに参戦した記録譚、第14回。

いよいよオーバーナイトステージ最終章となります。
果たして無事、ゴールすることができるのでしょうか?

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さらば寝ずの甚八

レーザーを道標にし始めてすでに1時間半。レーザーの根元、つまり第5チェックポイントの位置ははっきりしているのだがなかなか辿り着けないでいた。
未だ暗闇の中にある光の点である。

例のドーピングもさすがに切れてきた。無理をしたのは間違いない。反動に備え、ナッツやエネルギバーで補給を行いながら歩く。

そしてとうとうチェックポイントの灯りがはっきりと見えてきた・・!
よかった・・。安堵を覚える。
そして入口に知った顔が見える。パトリック氏だ。
彼はちょっと眠そうな眼で「ブラボー!」と私を迎えてくれた。時刻は深夜1時50分。ここで一晩中選手を待って激励しているのか。全く頭の下がる主催者である。

そして、安堵からか急激に体の力が抜け、激しい眠気に襲われる。
不味い・・!が、抗えない。せめて熟睡しないように手を打たなければ。
朦朧とする意識の中でなんとかiPhoneのアラームを20分後にセットし終え、その場に倒れ伏した。

20分後

毎朝聞くけたたましいアラーム音で目を覚ます。
寒い・・。先ずそう思った。テントも何もない、本当に何もない砂の上で風に晒され寝転んでいた。バックパックも背負ったままだ。
しばしぼーっとしていたが、欠伸をし、先程の急激な眠気を思い出す。気が緩んだ途端これか・・身体は正直だな。
寝ず甚八という馬鹿な目標は潰れてしまったがまあ仕方ないだろう。
だが、だからといってこれ以上休むつもりはない。
そう思い、立ち上がろうとするが・・

いぃっ痛い・・!!両足ともに四方八方から刺されているかのような痛みに襲われる。
一旦休んだことで体が冷え、痛みも顕在化したのだろう。何とか立ち上がり、出発の準備に向かう。
痛みを恐れるがあまり、産まれたての小鹿のように不安定な足運びでゴミ箱へ辿り着き、3Lの配水のうちの一部を破棄した。
水の破棄は初めてだったが、気温が低いため飲料としてはそれほど必要でなく、また私の場合は調理にも使用しないためこの量は必要ないのである。
ちなみにこのあとの第6チェックポイントも3Lと随分と厚い配水である。朝食用が含まれているのかもしれないが、これをどうするかはまた後で考えよう。

一息ついて行動食をいくつか取る。ここでずっと楽しみにとっておいたピーナッツバター入りのチョコソースも舐めた。
パリのホテルでの食事の際に、パン用に用意されていたものを拝借してきた。
ちなみに2つ持ってきたうちのもう1つは容器のフィルムが破れて中身が散り、バックパック内で周囲を盛大に巻き込む大惨事を引き起こしていた。

そしてこれ以上痛みを我慢して歩くのは無理と判断し、とうとう虎の子のロキソニンを服用。
何だかんだで時刻は2時30分近くになっていた。この先レーザーの道標はもうない。
再びヘッドライトの灯りを点し、チェックポイントを出た。

現在58.1km地点。次の第6チェックポイントまでは北西に真っ直ぐ11.6kmだ。
立ち止まることこそないものの、足取りはここまでに比べ随分と重い。
一体何時になったらチェックポイントに辿り着けるだろうか?目標時刻にはゴールできるのだろうか?そんなことばかり考えていた。
楽しむ余裕がなくなってきているのを自分自身感じ始める。
悔しいなぁ・・。疲労と痛みで後ろ向きになりつつある自身の思考を嫌悪しながらそう思った。

午前3時 砂漠地帯をただ黙々と歩き続ける。ロキソニンはそれなりに効いている気がする。
午前4時 同上。ロキソニンの効果はすでにプラシーボ。
午前5時 同上。ロキソニンのことはもう忘れた。

私の前後には数100m離れたところに選手が2、3名ずつ居るようだ。もう随分長い間、彼らの光の動きだけが私の感じれる変化であった。
そして、5時30分。背中の方角の空が徐々に白み始めてきた。

昨晩第3チェックポイントと第4チェックポイントの間で見送った太陽がまた御目見えしようとしている。
少し進んでは振り返り、様子を確かめるを繰り返す。

5時43分。東の空が赤らむ。後ろにいた選手が私を追い抜いていく。

5時51分。もう少しだ。

そして徐々に日が昇り、6時1分。完全にその姿を現した。

砂漠に光が戻る。ヘッドライトを取り外し、帽子と交代でバックパックに詰め込む。

日の出を見て、急に映画「20世紀少年」の主題歌「 Bob Lennon 」を聴きたくなった。

曲と一緒に口ずさむ。夕暮れ時の家路。そんな歌である。だが別に郷愁に駆られたわけではない。
丸一晩歩き続けたという事実が達成感と充足感となり「 もうコースの終盤。あと少しでビバークに帰れるんだ。 」 恐らくそんな風に感じていたのだろう。
とてもとても気持ちよく、朝日を背に繰り返し何度も歌った。当時の心理状況を思い返すにかなりの重症といえる。

日の出から約20分。サハラはすっかりと明るくなり、視界も開けた。
前を行く選手が順番にコース向かって右斜め方向に消えてゆく・・。これはもしや・・!
足を引き摺るように前に出す。ロキソニンは完全に切れていると確信できる程に痛みが伴っている。
そして、木陰の先に第6チェックポイントが現れた!
着いた・・。チェックポイントへの到達でこれほどの嬉しさと安堵を覚えたのは初日の大砂丘を越えたとき以来だ。

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